簡単な自分史

簡単に自己紹介します

こんにちは!奥井トモジと申します。

アラフォーです。

ここでは簡単な僕の歴史を紹介していきます。

僕の今までの人生を簡単にすると

  • 陰キャ時代
  • パチンコ屋店員時代
  • 断捨離時代

となります。

暇で、時間がありかつ、しょうがないから読んであげよう。と思っていただいた人は続きをどうぞ

 

陰キャ爆誕(〜20才)

僕は非常に引っ込み思案で話すことが苦手な人間です。今でもそうかも知れません。相手次第ですが)

そうなる以前は明るく、落ち着きのないちびっ子でした。

陰キャの扉を開いたのは小学生のとき転校しているのですが、体育館で自己紹介のミスをきっかけに引っ込み思案体質を獲得しました。

正確には陰キャというか話すことに苦手意識がついてしまった感じですね。

不思議なことにメールなど文章を書くことは苦手意識はありません。不思議ですね〜

コミュニケーション能力を手に入れるために(20〜30才)

コミュニケーション能力ほぼゼロの僕がどうしてもコミュニケーション能力を上げたい

上げるためにはどうすればいいのか悩みに悩んで片っ端から読み漁っていた本から気づいたのは

『周りを変えるのではなく、自分が変わろう』

『環境を変えれば、自分も変わる』

これを固く信じて飛び込んだのがパチンコ業界です。

今で言うウェーイ系な人たちに囲まれた環境に身を置けば変われる気がしました。

実際に働いている人たちの殆どは今だから言えるのですが真面目な人が多かったですね

もちろん、これだけではなくお金を貯めるという目標もありました。

全くギャンブルをしてこなかったどっちかというとおとなしめの息子がいきなりパチンコ屋店員になってしまったものだから親はびっくりしたと思います。

それでも自由にさせてくれた事に感謝!

まったく知らない世界に飛び込んで初めて見るものはとても新鮮でした。

そして、気がついたら見事にギャンブルにハマっていき、得たものは借金とぎっくり腰でした。

ここで一度退職します。腰を治すため完全に安静をしようというのもありましたが、当時は気が付かなかったのですが超絶ブラックな会社でした。

だけど、仕事ぶりが認められ、派遣社員から正社員になり、22才という若さで役職が付いたのも良い経験でした。

安静生活も終わり、3ヶ月ほどで華麗に別の会社のパチンコ屋店員として復活します(笑)

自分でもビックリです。

ここでは以前の失敗から正社員にはならない!と肝に銘じて派遣一本でいこう。

と決めていたのですが、1年くらい経つと、派遣会社を使っていたパチンコ屋側(全国に数店舗を持つ会社でした)が全店で派遣会社を切る決定をします。

その際、派遣を続ける直接雇用(準社員扱い)で迷うこと無く後者を選択します。

昔の経験もあり正社員ではなかったものの、正社員の代わりもすることがありました。

人を扱うことの難しさに気づくこともできたし、準社員の中では間違いなくトップでした。(時給とか)ここで培われた自己肯定感は今でも役に立ってくれています

ただ、ギャンブル大好きはデメリットでしかなく、30歳も超え腰痛もたまに酷くなったりします。

ここである言葉がよぎりました。

『環境を変えれば、自分も変わる』

ある日、偶然スロットで大勝利をした日をきっかけに一気に借金を返済し、パチンコ屋店員を卒業します。

もちろん貯金はありませんでした

いざ断捨離(30才〜今)

僕が捨てたのは大好きだったギャンブルです。

パチンコ屋店員としての高収入も同時に捨てました。

正社員として生きるのも捨てました。外的要因で受けるストレスが大嫌いなので。。。

人間関係も捨てていきました。酒を飲みながら過去を語り合うことになんの意味があるのか

時間の浪費だと気が付きました。

今ではストレスフリーな生活をしています。

自分が生活出来るだけ稼げればいい。と思っていた最中、ある程度の貯蓄は必要だろうとは思っている中、アルバイト副業を始めます。

結論、体壊すから絶対にオススメしません。若ければ気合と根性でいけるでしょうけど・・・

その後数年経って、インターネットを使った副業のことを知ります。

生活できているから知ったいるだけでした。

つい最近になり、あなたの記憶にも新しい、例の感染症が猛威をふるい始めます。そこで気づかされたのは、

イザというときは会社は守ってくれないではなく、守ることができない

ということです。もちろん、今勤めている会社は特性上潰れることはありませんが多大な影響もありました。部門閉鎖だったり、売上減少による勤務縮小だったり・・・

今現在でも勤めることは出来ていますが保証は無いことに気づいた僕はインターネットで色々副業について調べていった結果、ここでやっとライティングを知ることになります。

話すことは苦手でも文章は書けないことはない

とにかくやってみよう。

文章で人を動かし、感謝されることが仕事にできるって素敵ですよね

僕がもし話し上手な人間だったらライティングのことも知ることはなかっただろうし、言葉巧みにすんなり人間関係も上手くいって、会社ではそれなりの地位につき定年まで勤めることしか出来なかっただろうと思います。結婚もしていたかもしれませんね。

しかし、今では定年制は崩壊し、年金75歳から説もありますね。

会社も国もイザというときは守ることができない。

コレに気づけた人は多くないと思います。ここまで読んでくださっているあなたは気づいてる人なのでしょう。

僕がもし話し上手だったら気づかずにそのまま

  • インターネット副業を知らないから会社に依存するしか無い。
  • チャレンジする時間がないから会社に依存するしか無い。
  • 家族を守らないといけないから会社に依存するしか無い。

だっただろうと思います。

これって結構怖いですね。

話し上手ではない僕は会社に完全依存するわけではなく、個人でも守ることが出来る状態にしたいと強く感じました。

そして、WordPressを立ち上げた今に至ります。

そんな今日この頃です。

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